沖田総司「血は吐かなかった!?池田屋騒動」あの歴史偉人「裏素顔」 (2/2ページ)

日刊大衆

 そもそも、もろもろの史料からみて沖田の病状が悪化するのは慶応三年(67年)の夏以降。

 というのも、医師の松本良順が明治にまとめた回想録によると、新選組の屯所が壬み生ぶから西本願寺へ移ったのちの慶応元年(65年)閏うるう五月、松本がいまでいう隊士らの集団検診を行った際、「難患(難病の患者)は心臓肥大と肺結核と二人のみ」という結果になっているからだ。

 心臓肥大患者はその年の十一月に亡くなった尾関弥四郎とみられ、肺結核患者は沖田のことだろう。総司が慶応四年(68年)五月三〇日、肺結核で亡くなったのは事実だが、その悲劇性は脚色されていたといえる。

跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士
後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。
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