幕末には吉田松陰も斬首。当主代々、斬首刑を執行していた処刑人「山田浅右衛門」、実は明治時代まで続いていた (3/3ページ)
人の首を斬るときは骨の位置を見極め躊躇せず振り下ろし、相手を苦しめないようすみやかに絶命させることが大事であり、この仕事は、殺される人のためにはそれほどの腕がないとだめだということで、決してこの一家が残忍な嗜好性があったからということではないのです。
それどころか日々他の武士よりも剣術の研鑽も積まなければならないのは尚のこと、武士は必ず詠むといっていい辞世の句の心情を理解するため、俳句の道に通じるよう、教養も高めていたそうです。
明治時代に入ると「東京府囚獄掛斬役」という役職を与えられ執行人を務めていましたが、明治七年に絞首刑が極刑となり斬首ではなくなったことや死体の試し切りも禁じられるようになったため、山田家は廃業となりました。
しかしその後も裏八代目の吉亮にはたびたび依頼があり、明治十五年の七月二十四日が最後の仕事だったそうです。
参考:『幕末維新あの人のその後』(PHP文庫)
トップ画像:国際日本文化研究センターデータベースより
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