幕末には吉田松陰も斬首。当主代々、斬首刑を執行していた処刑人「山田浅右衛門」、実は明治時代まで続いていた (2/3ページ)

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しかしその後は実子に技量を持つものが現れなかったため、弟子の一人に家業を継がせることになります。

それが浪人の山田浅右衛門貞武でした。

貞武は自身の子にも御様御用を継がせたいと幕府に願い、これが許可されたことから、代々御様御用と斬首刑の役を務める山田家が誕生しました。

しかし、生涯浪人だったのはなぜでしょう?

三代将軍・吉宗の代でその機会があったにも関わらず、申し出る機会を失ったからだとか、旗本に取り立てると技量が立つ者が相続できない場合に困るから、臨時雇いのような状態が幕府にとって都合がよかったからだ…とか諸説ありますが、はっきりとした理由はわかっていません。

八代目には裏八代目がいた?

七代目は特に腕が立ち、遠山金四郎景元や土方歳三からも刀の鑑定を依頼されたといいます。また、執行人として幕末期の有名な吉田松陰や橋本左内の処分も行ったそう。

八代目には影武者ともいえる、弟の「山田吉亮(よしふさ)」という人物がおり、彼は兄弟の中では最も多く刑場で刀をふるったといいます。家督を継いだのは八代目ですが、腕が良かったのは吉亮だったそうな。

彼が明治期に語ったところによると、やはり人の命を絶つということは慣れるものではなく、斬首のあった夜は気分が静まらず眠れなかったため、酒宴をおこなっていたようです。

そのため、周囲からは「山田家は怨霊に取りつかれため、毎晩騒いでいるのだ」などと良からぬ噂もたてられたことがあるそうです。

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