平安時代の貴族たちの日記『御堂関白記』『小右記』『権記』タイトルはどのようにつけられた?【光る君へ】

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平安時代の貴族たちの日記『御堂関白記』『小右記』『権記』タイトルはどのようにつけられた?【光る君へ】

皆さんは日記をつけていますか?

毎日つけている方や、何かあった日だけつけている方、まったくつけない方など様々でしょう。

また日記の内容も、その日に食べたものや大きな出来事、活動記録など自由に書かれていることと思います。

平安時代の貴族たちも日記をつけることが多く、その内のいくつかが現代に伝わりました。

藤原道長『御堂関白記(みどうかんぱくき)』や藤原実資『小右記(しょうゆうき)』、藤原行成『権記(ごんき)』などが有名ですね。

ところでこれらのタイトルは、どのようにつけられたのでしょうか。今回はこれら三つの日記について、タイトルの由来を紹介したいと思います。

藤原道長『御堂関白記』とは?

藤原道長(画像:Wikipedia)

長徳元年(995年)から治安元年(1021年)にかけて書かれた日記で、寛弘元年(1004年)より前は断続的に、以降は継続的に書かれています。

日記のタイトルは晩年の道長が法成寺無量寿院を建立して「御堂関白殿」などと呼ばれるようになったのが由来です。

ちなみに道長が関白になったことは一度もありませんが、人々は「あれはもう関白みたいなものだろう」と認識していたのでしょう。

現代でもよくある「いよっ、大統領!」みたいな感覚かも知れません。

他にも『法成寺摂政記』『法成寺入道左大臣記』『御堂御記』『入道殿御日記』『御堂御暦』などと呼ばれました。

藤原実資『小右記』とは?

藤原実資。菊池容斎『前賢故実』より

実資と言えば日記、実資と言えば愚痴……というのは少し言い過ぎでしょうか。

実資が永年にわたり書き続けた『小右記』。随所に皮肉が冴える日記として有名です。

小とは実資の家門である藤原氏「小」野宮流、右とは実資の官職である「右」大臣(または右府)からとっています。

「小」野宮の「右」大臣が書いた日「記」、だから『小右記』なのですね。

またの名を『野府記(やふき)』とも言いますが、これは小「野」宮の右「府」による日「記」という意味になります。

さらに漢字は小右記で「お・う・き」と読ませることもあるとか。発音に気をつけないと、聴き分けられなさそうです。

藤原行成『権記』とは?

藤原行成。井上安治「教導立志基 大納言行成」

『権記』のタイトルは、藤原行成の極官(ごくかん。生涯最高官職)である「権」大納言に由来します。

別名を『権大納言記』『行成卿記(こうぜいきょうき)』とも言いました。行成の名前を「ゆきなり」でなく有職読みの「こうぜい」とするのが奥ゆかしいですね。

行成が一条天皇の御代に蔵人頭としてそば近く使えた様子が詳しく記録されています。

当時の政権運営や朝廷の儀礼などを知る上で一級史料として重宝されてきました。

道長の全盛期を知る上でも絶好のテキストとなっているので、ぜひ読破したいですね。

終わりに

『蜻蛉日記』作者の右大将道綱母(画像:Wikipedia)

今回は平安貴族たちの日記について、タイトルの由来を紹介してきました。

日記のタイトルは書いている当人たちではなく、周囲や後世の人々がつけたので、そのセンスは様々です。

ところで男性たちの日記に比べ、女性たちの日記はストレートなタイトルが多いように感じます。

有名なものでは『紫式部日記』や『和泉式部日記』、『讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)』など……多くが人名(女房名)+日記です。

右大将道綱母『蜻蛉日記(かげろうにっき)』や菅原孝標女『更級日記(さらしなにっき)』などは少し洒落ていますが、これは当人がつけたものでした。

もしかしたら彼女たちも伝わっていないだけで、実は自分の日記に個性的なセンスの光るタイトルをつけていたのかも知れませんね。

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