不仲夫婦? 幕末の動乱下、10年の別居婚を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【前編】 (2/2ページ)
晩年の徳川慶喜(wikipediaより)
1897年には再び東京に戻り、貴族院議員などを歴任。
妻・一条美賀子(いちじょうみかこ)
一条美賀子(Wikipediaより)
1835年。実父は今出川公久(いまでがわきんひさ)、養父は一条忠香(いちじょうただか)。どちらも公卿(国政機関で政治を担う最高位の職)であった。
1853年に徳川慶喜と婚約。55年に結婚。
1860年以降、井伊直弼による慶喜の謹慎が解かれると共に別居。
1866年。慶喜が徳川15代将軍となるも、慶喜は京都に在京中であり、将軍の正室でありながら大奥入りすることはなかった。
1869年。静岡の地で慶喜と同居。
代役としての結婚本来、慶喜は公卿・一条忠香の養女・輝子(千代君)と婚約していたが、輝子が疱瘡(天然痘)に罹患したことから婚約が流れた経緯がある。
婚約相手がいなくなった慶喜には、同じく一条忠香の養女であり、輝子の養姉にあたる美賀子が急遽代役として立てられ、慶喜と婚約することになった。
【後編】では、2人の関係性や結婚生活についてご紹介する。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan