伊周たちのその後、『枕草子』書名の由来、ポスト定子は誰?大河ドラマ「光る君へ」5月26日放送振り返り (2/4ページ)
伊周と隆家はそれぞれ病いと称してごね続け、伊周は但馬国(兵庫県北部)、隆家は播磨国(兵庫県南部)に留められました。
やがて10月になると、伊周は貴子が重病に倒れたと知って、いても立ってもいられずに京都へ舞い戻ります。
又しても定子に匿ってもらいましたが、密告されて捕らわれ、今度こそ大宰府へ連行されました。10月末には貴子が世を去り、伊周は12月に大宰府へ到着します。
そんな12月16日、定子は長女の脩子内親王(しゅうし/ながこ)を出産しました。
年が明けて長徳3年(997年)、伊周たちは罪を赦され、一条天皇(塩野瑛久)は定子母娘を再び入内させます。
これは傷心の一条天皇を慮って道長と詮子が提言したとも言われますが、一度出家した者を入内させるという不謹慎かつ異例の措置に、声なき批判が集まったのは言うまでもありません。
ポスト定子を争う藤原元子と藤原義子
独走状態であった定子が出家したことにより、中宮争いが過熱しました。
その有力候補として挙がったのが、藤原顕光(宮川一朗太)の娘である藤原元子(げんし/もとこ)と、藤原公季(米村拓彰)の娘である藤原義子(ぎし/よしこ)。どちらも血筋としては申し分ありません。