伝説の陰陽師・安倍晴明は地味な公務員!まるで”魔法使い”のような呪術の逸話は全てフィクション【後編】
公務員としての陰陽師
【前編】では、日本の伝説の陰陽師である安倍晴明が、昔から「凄腕の魔法使い」として描かれてきたことを説明しました。
伝説の陰陽師・安倍晴明は地味な公務員!まるで”魔法使い”のような呪術の逸話は全てフィクション【前編】では、そんな彼の実像はどんなものだったのでしょうか。
平安時代の陰陽師には、朝廷の官職として働く公的な陰陽師もいれば、民間の私的な陰陽師もいました。
現代風に言えば、公務員としての陰陽師と一般人の陰陽師がいたわけです。安倍晴明は、前者の公務員としての陰陽師でした。
いくつかの史料から彼が生まれた年を推定すると、晴明は921(延喜2)年、安倍氏9代目益材(ますき)の子として生まれたと考えられます。
出生地は香川県とも大阪府とも茨城県ともいわれ、はっきりしません。この曖昧さのおかげで、彼は狐の化身である葛の葉という女性から生まれたという逸話も生み出されています。
ちなみに生まれ年を、大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部と比較してみましょう。
仮に彼女が天禄元(970)年の生まれだとした場合(諸説あり)、歳の差は4ということになります。
彼女が出仕した寛弘2(1005)年頃に晴明は亡くなっており、おそらく当時、二人の面識はなかったことでしょう。
全ては創作【前編】で説明した通り、晴明の呪術・呪法の話は、さまざまな文献のなかに記されています。
とはいえ『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』は歴史書ではなく説話集ですし、歴史物語の『大鏡』はあくまでも文学作品です。そこに書いてあることを全て「事実」「史実」だと考える人はいないでしょう。
結論を言えば、晴明が呪術・呪法を使ったという話の多くは作り話であり、後世の創作であることはまず間違いありません。
では、そのような作り話や伝説は誰が作ったのかというと、晴明の後裔である土御門家につながる陰陽師だと言われています。
さて、そうなると実際の安倍晴明はどんな人だったのでしょうか?
始末書を書かされることも実は、晴明が陰陽師として花山天皇や藤原道長につかえるようになったのは、40歳になってからです。
それまでの晴明は陰陽寮の学生に過ぎず、天皇や上級貴族のそばで活躍できる身分ではありませんでした。
その後がんばって陰陽師の大家になったとはいえ、40歳にしてまだ学生というのはかなり遅い出世です。
つまり、現在エンタメ作品で描かれているように、若くて美男子の晴明が天皇や貴族の間で陰陽師として活躍するという話は完全なフィクションだということです。
それに出世して陰陽師の大家になったといっても、彼の身分はあくまでも「公務員」でした。
こんな出来事がありました。988(永延2)年に天文の異変が起こり、48歳の晴明は祈禱の呪法を命じられました。ところが、年齢のせいもあったのかすぐに取りかからなかったため始末書を書かせられているのです。
68歳でまだ勤務していることには頭が下がりますが、史実としての彼の実像を見ていくと、あまり陰陽師の大家としての威厳は感じられません。
もし彼が、現代の小説・漫画・映画などでの自分自身の描写を見たらどう思うでしょうか。
日本を代表する魔法使いとしてヒーローのように描かれているのを嬉しく感じる反面、「俺、本当はそんなにすごい奴じゃないんだけどな」と苦笑いするかも知れませんね。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い!変わる日本史』(宝島社・2014年)
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