ついにきた求婚!今後まだ子を生む定子!まひろを逆ハニートラップ…大河ドラマ「光る君へ」6月9日放送振り返り

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ついにきた求婚!今後まだ子を生む定子!まひろを逆ハニートラップ…大河ドラマ「光る君へ」6月9日放送振り返り

通詞の三国若麻呂(安井順平)を殺したのは朱仁聡(浩歌)ではなく、商人の早成(金子岳憲)でした。

越前介の源光雅(玉置孝匡)らが黒幕かと思っていたら、彼らは彼らで宋人の経済侵略を防ごうと忠義を尽くしていたようです。

潔白が証明されたことで立場が好転しつつあった朱仁聡は藤原為時(岸谷五朗)の篭絡を謀り、まひろ(紫式部。吉高由里子)と左大臣・藤原道長(柄本佑)の関係を利用して朝廷を動かそうと周明(松下洸平)をけしかけました。

そこへまさかやって来た藤原宣孝(佐々木蔵之介)。この後の展開を知っている視聴者のほとんどが予想しなかった展開に、驚きを隠せなかったのではないでしょうか。

「都へ戻って来い。あの男(周明)と宋へは行くな。わしの妻になれ」

宋への憧れといきなりの求婚……果たしてまひろはどちらを選ぶのか、十中八九後者と思われますが、ちょっと寄り道展開も考えられなくはありません。

それでは今週も、第23回放送「雪の舞うころ」気になるトピックを振り返っていきましょう!

今さら気になった宋人所作指導(張春祥)

宋人らしい所作って、どんなんだろう。それは唐や元や明などとは違うのだろうか(イメージ)

スタッフロールを見ていて、ふと気になった宋人所作指導。

日本人だって時代によって言葉遣いや振る舞いが違うのだから、千年の歳月を隔てて王朝も民族も異なる宋国の人々は、現代中国人とは大きく異なったはずです。

もちろん殺伐とした中国大陸に生きる民として、通じるものはあるでしょうが、現代中国語と異なる言葉や振る舞い、文化が描かれているものと思われます。

劇中の限られた時間ですべてを感じ取ることは難しいものの、細かいところにまで配慮されている宋人感に注目してみましょう。

居貞親王(木村達成)と藤原娍子(朝倉あき)

三条天皇(画像:Wikipedia)

一条天皇(塩野瑛久)の春宮(皇嗣)として登場した居貞親王(いやさだ。木村達成)と同妃の藤原娍子(せいし/すけこ。朝倉あき)。念願の皇子が生まれてめでたいムードでしたね。

居貞親王は後に皇位を継ぎ、三条天皇と呼ばれるようになります。

三条天皇は道長の甥(姉の藤原超子と冷泉天皇の皇子)に当たり、一条天皇よりも年長という微妙な関係でした。

皇位を継いだ後は道長の次女である藤原妍子(けんし/きよこ)が入内したことにより、藤原娍子と対立します。

道長の手前で藤原妍子を中宮に、愛する藤原娍子は皇后という二后両立が続きました。

しかし藤原娍子は父を疫病で亡くしているため後ろ盾がなく、苦しい立場に追い込まれていきます。

やがて三条天皇は眼病を患い、道長に譲位を迫られてその座を下りるのでした。

劇中では徐々に道長らしさ?を備えてきた道長との対立がどのように描かれるのか、注目です。

出家してるのに?!この後も皇子を生む藤原定子(高畑充希)

出家のタブーを破った?一条天皇(画像:Wikipedia)

長徳2年(996年)12月に脩子内親王(しゅうし/ながこ)を生んだ藤原定子。彼女は出家する前から妊娠していたので、これは仕方がありません。

出産してから出家するのが順当でしょうが、長徳の変にともなう混乱の中で出家したため、これも百歩譲ってやむなしと思います。

しかし定子は出家後も一条天皇の寵愛深く、長保元年(999年)には皇子の敦康親王(あつやす)、長保2年(1000年)には次女の媄子内親王(びし/よしこ)を生みました。

劇中でも言及されている通り、出家とは俗世との隔絶を意味しています。

一度出家すればそう簡単に還俗できるものではなく、実質的には死んだも同じ。

かの『源氏物語』でも、主人公の光源氏が愛する継母の藤壺(ふじつぼ)が出家すると、もう一切手が出せなくなってしまいます。出家した者と通じるのは、それくらいにタブー視されていました。

しかし一条天皇はそれをやすやすと破ったことになります。いかに天皇陛下と言えども、神仏を畏れぬ振る舞いを心ある人々が批判したのは言うまでもないでしょう。

宣孝が持って来た『玄怪録』って何?

さぞ不思議な説話が収録されていたことだろう(イメージ)

まさか本当に越前まで来るとは、誰も思っていなかった藤原宣孝。都から土産物を持ってきた中で、特にまひろが喜んだ『玄怪録(げんかいろく)』とはどんな書物なのでしょうか。

結論から言うと『玄怪録』は現存していないようですが、唐の政治家である牛僧孺(ぎゅう そうじゅ)が9世紀に編纂したオカルト?説話集です。

またの名を『幽怪録』とも言い、これは唐の玄宗皇帝にはばかったための改名でした。

また同時代の李復言(り ふくげん)が『続玄怪録』を編纂しており、こちらも内容は現存していないものの、『玄怪録』が人気を集めていたことが察せられます。

まひろも興味津々でこれを読み、後の創作活動にイマジネーションを得たのかも知れませんね。

周明「私を宰相の侍医に推挙して」宰相って誰?登場するの?

大事なところだけおさえていれば、後はテキトーでも何とかなる(イメージ)

まひろを逆ハニートラップにかけて、宋と朝廷の直接交易を狙う周明。

「成功したら、私を宰相様の侍医にご推挙ください」

そんな野望を口にしていました。

ところで宰相って誰?話の流れから考えると、宋国の宰相ですね。

長徳3年(997年)時点の宋国宰相は、その名を呂端(りょ たん)と言いました。当時63歳です。

清泰2年(935年)に幽州安次県(中国河北省廊坊市)で生まれます。大らかな人物だったらしく、時にそれが大雑把と見られたようです。

宋の皇帝・太宗が呂端を宰相に取り立てようとした時に批判する者がいました。

「呂端は大雑把な人物なので、宰相に取り立てては国が乱れます(呂端為人糊塗)」

しかし太宗は意見を変えず、その者を諭して言います。

「呂端は細かいことは苦手のようだが、ここ一番の大事を疎かにすることはない(端小事糊塗、大事不糊塗)」

国を治める要諦は、大事なポイントだけを押さえて後は民力に委ねること。

才能に任せてあれやこれやと口を出しては、却って活力を損ねてしまうものです。

かくして呂端は至道元年(995年)に宰相となり、要点だけを押さえた政で賢臣と讃えられたのでした。

このエピソードは「呂端大事不糊塗(呂端は大事を外さない)」という故事成語として後世に伝わり、現代中国でもしばしば用いられると言います。

果たして呂端が大河ドラマに登場するのか否か……あなたはどう思いますか?

第24回放送「忘れえぬ人」

まひろが三角関係の渦中にある中、朝廷では道長が着々と道長らしくなっていました。

次週の第24回放送「忘れえぬ人」では、まひろが周明か宣孝のどちらを選ぶか決断するようです。

普通に考えればセクハラ親父の宣孝よりも若くて誠実そうな周明でしょうが、こういうのは理屈通りに行かないのがお約束。

ワンチャン宋へ渡って危ない目に遭うのも物語的にはありそうですが、果たしてどうなるのでしょうか。次週も目が離せませんね!

トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

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