遣唐使の廃止と国風文化の発展は関係ない?「894(ハクシ)に戻す遣唐使」は現代の通説ではない【後編】 (2/3ページ)
『日本紀略』では、「其日」は「某日」という意味で使用されているのが通例です。
つまり、この文章では、遣唐使がこの日付で停止されたという意味にはならないのです。
この考え方は今ではごく一般的なものです。【前編】では、この年に遣唐使が「廃止」になったとは言えないことを説明しましたが、そもそもこの年に「停止」されたかすらも曖昧なのです。
ずっとストップしていた遣唐使実際、894年以降も唐との交流が途絶えたわけではありません。例えば、896(寛平8)年に宇多天皇は中国人を招いて面談しています。
また、菅原道真も遣唐使の役割を解かれておらず、897(寛平9)年の段階でもまだ遺唐大使の役職ですし、遣唐副使の紀長谷雄に至っては901年でも任を解かれていません。
こうした事実から導き出される結論は、次の通りです。
菅原道真は894年に、遣唐使は停止すべきだという意見をしました。
そして、それについては長々と検討されたものの、結局907 (延喜7)年に唐が滅亡したため遣唐使は再開されないままに終わったのです。
しかもそれ以前にも、既に56年もの間、遣唐使の派遣が行われていなかったのは【前編】で説明した通りです。