遣唐使の廃止と国風文化の発展は関係ない?「894(ハクシ)に戻す遣唐使」は現代の通説ではない【後編】 (3/3ページ)

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ここまで見ていくと、「894年に遣唐使が廃止されて中国文化が輸入されなくなり、独自の日本文化である国風文化が育つことになった」という従来の説が怪しくなってくるのが分かるでしょう。

もともと、遣唐使というイベントは894年以前からストップしており、それ以降もなんとなく行われないまま、イベント自体が断ち消えになってしまったのです。

国風文化は漸進的に育っていったもの

さらに言えば、遣唐使の廃止(停止)はあくまでも正式の国交が途絶えただけのことで、実際には民間での唐と日本の文化交流は普通に行われていました。

当時、九州・博多に来航した中国商人を通じて書籍・陶磁器などの工芸品がもたらされていますし、これらの品々は貴族たちの「あこがれの品」として珍重されていたのです。

唐との交流が絶たれて半世紀以上も経過しているにもかかわらず、国風文化の成立(日本独自の文化の誕生)の原因を遣唐使の廃止あるいは停止によるものと説明するのは無理があると言えるでしょう。

朱雀門広場の遣唐使船

よって現在では、教科書では次のように説明するようになっています。

「9世紀から20世紀になると、貴族社会を中心に、それまでに受け入れられた大陸文化を踏まえ、これに日本人の人情・嗜好を加味し、さらに日本の風土にあうように工夫した」(「詳説日本史B」 山川出版社)

現在では、国風文化の成立について説明する際、遣唐使の廃止あるいは停止という言葉は重要キーワードとして使われていないのです。

日本では、遣唐使や民間の貿易を含めた唐との交流の中で、漸進的に独自の文化が育まれたという解釈が今では主流になっています。

参考資料:
浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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