戦国時代の容赦なき粛清…黒田官兵衛・長政親子に一族と家臣もろとも謀殺された武将・城井鎮房の悲劇 (3/5ページ)
しかし、度重なる無礼を秀吉は許さず、鎮房の嘆願を拒否。これを不服と感じた鎮房は、新領主となった黒田官兵衛が治める豊前国に侵攻し、自らの居城・城井谷城を奪還します。
鎮房の行いに秀吉は黒田長政率いる軍を差し向けます。この戦いは岩丸山の戦いと呼ばれており、地の利を活かしたゲリラ戦法で豊臣軍を圧倒しました。
そして、鎮房の娘・鶴姫を人質に出すことと本領安堵を条件にこの戦いは幕を閉じました。
長政によって悲惨な最後を迎える
これで一件落着かと思いきや、長政は鎮房のこれまでの行いから再度反旗を翻す可能性があるとして、城井一族の根絶やしを決断します。
天正16年(1588)に鎮房は、長政が主催する酒宴の招待を受け中津城へ。この時、鎮房の家臣たちは城下の合元寺にて待機させられました。
