大日本帝国憲法は「ドイツの真似」ではない?欧米の政治制度からの脱却を試みた伊藤博文たち【後編】 (3/4ページ)
シュタインの憲法観から大きな示唆を受けた踏まえ、ドイツの政治制度にこだわる井上に対して「ドイツの煮法は日本にそぐわぬ部分が多くある。鵜呑みにしてはならない」と言っています。
こうして伊藤は、大日本帝国憲法及び内閣制度を、ドイツ以上に君主権(行政権)の強いものにする意思を固めたのでした。ドイツにこだわらずいろいろな国の君主権(行政権)の強い項目を大日本帝国憲法に反映させたのです。
では、その結果どうなったでしょうか。
フランスの制度も採用伊藤はドイツの憲法を研究していく過程で、その原型のフランス憲法にたどり着きます。その結果、ドイツの純粋な模倣ではなく完全なフランス式でもない、独特の憲法と政治制度ができあがることになりました。
例えば大日本帝国憲法で採用された「君主は神聖である」というような表現(天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス)はドイツ憲法にはありません。これは1814年6月にフランスのルイ16世が発布した欽定憲法を手本としています。
また、伊藤らは日本の帝国議会を衆議院と貴族院の二院制にしましたが、ドイツは帝国議会と連邦参議院の二院制です。
そして、ドイツの帝国議会の議員は普通選挙で選ばれましたが、よく知られている通り、日本の衆議院議員は直接国税15円以上の納税者という厳しい制限選挙でした。