あの坂本龍馬を捕殺!?約400名で組織された幕末の治安維持部隊「京都見廻組」の実態【後編】 (2/3ページ)
京都見廻組の「今井信郎(いまいのぶお)」
組織の崩壊
京都の治安維持に尽力した京都見廻組であったが、王政復古の大号令による徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の将軍辞任、江戸幕府の廃止による幕藩体制の終焉に伴って崩壊を余儀なくされる。
徳川15代将軍「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」
1868年から起こった新政府軍と旧幕府軍の戦いである戊辰戦争では、旧幕府軍として参戦。鳥羽伏見の戦いにおける敗戦によって大阪へ敗走する。
徳川15代将軍就任以降、畿内を離れなかった徳川慶喜の大阪城脱出と共に江戸へ帰還。後に狙撃隊と隊名を改めるも、1868年6月に解体となった。
隊士たちのその後京都見廻組の中心人物であった佐々木只三郎は、旧幕府軍として参戦した鳥羽伏見の戦いにおいて被弾し、重傷を負って戦線を離れる。