運命を分けた関ヶ原!戦国時代の天下人・豊臣秀吉を支えた5人の大名「五大老」たちの明暗 (3/5ページ)

Japaaan

家康の対抗馬とされていた前田利家が1599年に死亡すると、変わって「石田三成」が反徳川の急先鋒となる。しかし三成には、過去の朝鮮出兵や豊臣秀次粛清の件で豊臣政権内に反発勢力が一定数存在しており、反徳川として豊臣家臣団を一枚岩に結束できる求心力はなかった。

日本は徳川に味方する「東軍」と、反徳川で結成された「西軍」に別れ決戦となる。この頃になると五大老体制は崩壊しており、前田家は徳川方へ、残りの三家は反徳川方へ加担している

この判断が、後の五大老に列席した大名たちの運命を分けることとなった。

「五大老」は、秀吉亡き後、大名同士の権力争いと共に瓦解した。五大老に名を連ねた五つの名家は、関ヶ原の大戦の末に大きくその明暗を分けることとなる。

「五大老」それぞれの運命

五大老に列席した五つの大名家の関ヶ原以降のありようをみていきたい。

関ヶ原合戦図屏風(Wikipediaより)

徳川家

関ヶ原の戦いで「東軍」の総大将となった家康は、大戦に勝利したことで実質的な日本の支配権を手に入れた。1603年に江戸幕府を開府。1615年、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると名実ともに天下を統一した。以後、幕府の将軍職は15代に渡り徳川宗家の世襲制となり、265年間に及ぶ江戸時代を完成させた。

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