運命を分けた関ヶ原!戦国時代の天下人・豊臣秀吉を支えた5人の大名「五大老」たちの明暗 (4/5ページ)

Japaaan

前田家

関ヶ原の戦いの直前、利家から家督を譲られていた利長は、徳川家に実母を人質に送ることで家康の信任を得ることに成功した。関ヶ原では「東軍」に味方し、徳川政権下では領地を加増され加賀・能登・越中120万石に迫る大大名家となり、「加賀藩」の礎を築いた。

毛利家

「西軍」の総大将に担ぎ上げられ敗戦を迎えた毛利家は、戦後の減封により本来の所領であった120万石から周防・長門2ヶ国の約30万石へと大幅な領地削減を余儀なくされた。
その後は「長州藩」として江戸期を迎える。幕末には倒幕運動の中心となり多くの維新志士を生んだ。

上杉家

徳川家と対立して「西軍」に与した。戦後は家康と謁見し謝罪したことで藩の存続を許され、出羽国を中心に30万石の所領を与えられる。軍神と謳われた先代・上杉謙信が健在であった頃の所領は150万石ほどといわれており、結果的に景勝は一代で上杉家の領地を大幅に減少させてしまった。幕藩体制下では「米沢藩」として幕末まで存続した。

宇喜多家

備前国の当主であった宇喜多家。大名として最後の当主であった秀家は秀吉に育てられ、五大老にまで上り詰める。最盛期は58万石近くの所領を保持し宇喜多家の全盛期を築いたが、関ヶ原の戦いで徳川家に敗れ秀家自身は八丈島に流罪となり同地で生涯を閉じた。
1616年の改易によって大名としては滅亡したが、直系の血筋は現在も続いている。

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