実はお人好しだった織田信長!?最初から最後まで周囲に裏切られ続けた信長の人生 (2/3ページ)
この時に信長が受けたダメージは大きく、難を逃れて京へ戻った時の残りの兵は僅か十人でした。
また、信長に謀反を起こした裏切り者の代表格の一人が松永久秀でしょう。
彼は1572年(元亀3)年に足利義昭について信長に反旗を翻しましたが、その後、信長は久秀を許しています。しかし久秀はその後も1577(天正5)年に石山本願寺攻めの途中で離脱し、居城へ籠城しました。
その後も、武田信玄による織田家との同盟破り、荒木村重による裏切り、そして本能寺の変と続いています。
当主に就任すれば身内から裏切られ、最後は明智光秀の裏切りによって命を落とし……。信長の人生は最初から最後まで裏切られる人生であり、もともと裏切られやすい武将だったと言えるでしょう。
お人好しゆえに裏切られるさて、ここまでの経緯は歴史好きの人ならよくご存じでしょうが、そもそも信長はなぜこれほどまでに周囲から裏切られ続けていたのでしょうか。
一般的なイメージは、彼がずば抜けて天才的な改革者で、家臣に厳しい性格だったので反感を抱かれがちだった……というものでしょう。
しかし、それほどの天才ならなぜ家臣の裏切りもうまく抑え込めなかったのか、という疑問も出てきます。
実際、先述の通り裏切り者に対する信長の処罰は軽いことが多いです。