脚色と誤解の数々…実は石田三成と徳川家康は険悪な仲ではなかった!二人の関係の誤解を解く【前編】 (3/3ページ)
それでも三成ばかりが家康と険悪だったと思われがちなのは、三成が関ヶ原の戦いで西軍を実質的に指揮したことが一因でしょう。
しかし、家康と光成が感情的な対立関係にあったというイメージは江戸時代の創作物に基づいています。当時は両者のそうした対立があたかも存在していたように記す書籍が刊行され、そのイメージが補強されていったのです。
次回の【後編】では、三成が上杉景勝と盟約を結んで家康を討とうとしたという共謀説に関する誤解を取り上げます。
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社
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