私を一番に愛して!主従を越えて藤原定子に一番の愛情を求めていた清少納言【光る君へ】
「1番でなくちゃダメですか?2番じゃダメなんですか?」
かつてこんなセリフが話題となったことがありました。
無理に1番を目指さなくても、2番目、3番目でも価値がある。そんなことも確かにあります。
しかし1番でなくちゃ意味がない。そういうケースは少なくありません。
例えば「あなたを2番目に愛していますよ」などと言われて、誰が嬉しいでしょうか。そんな心情は今も昔も変わりませんでした。
今回は『枕草子』より、一条天皇の中宮・藤原定子(ていし/さだこ)と、彼女に仕えた清少納言(せい しょうなごん)のこんなエピソードを紹介したいと思います。
定子の挑発?「二番や三番に興味はありません。死んでも嫌です。一番でなくちゃ、生きている意味がありません」(イメージ)
ある日のこと。清少納言が女房たちと談笑していると、いきなり文(ふみ)が投げ込まれました。
「中宮陛下(定子)から?……何でしょう」
開いて見ると、中にはこんなことが書かれています。
思ふべしや、否や。人、第一ならずはいかに
【意訳】貴女を愛してあげましょうか?どうしましょうか?だけど、貴女は一番じゃなくちゃ嫌なんでしたっけ?
要するに「二番目でよければ、貴女を愛してあげましょう」というメッセージでした。
人前でそんなことを訊かれても……とは思いますが、清少納言はこれに返事をしたためます。
すべて、人に一に思はれずは、何にかはせむ。ただいみじう、なかなか憎まれ、あしうせられてあらむ。二、三にては、死ぬともあらじ。一にてを、あらむ。
【意訳】一番に愛していただけないならば、何の意味がありますか?そんな中途半端な愛情ならば、むしろ激しく憎まれたり、虐待されたりする方がよほどマシです。二番目や三番目なんて、死んでいるのと違いません。どうか私を一番に愛して下さい。
……との事でした。
二人の関係は?清少納言が日ごろから「一番でなくちゃ意味がない」と連呼していたことを受けて、定子がからかったようです。
しかし単にからかうだけなら、愛するなんて重いテーマをぶん投げなくてもよさそうなもの。
このやりとりから、二人が単なる主従を越えた関係にあったことが察せられます。
清少納言が前夫の橘則光(たちばなの のりみつ)と上手く行かなかったのは、こういうことも関係しているのかも知れませんね。
※則光は根っからの体育会系で、機知に富んだ清少納言と相性が悪かったというのが定説。ただし離婚後も交流は続き、むしろ仲はよかったのだとか。男女の関係はよく分からないものです。
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定子の崩御後長保2年(1001年)12月16日に定子が防御すると、清少納言の宮仕えは終わりを告げます。
内裏を去った清少納言の消息は不明、俗説では惨めに暮らしたエピソードが創作されました。
「なけなしの教養をひけらかし、調子に乗った恥知らずの末路はこのザマだ!」
そんな心ない声が聞こえるようですが、実際には息子たちが健在だったため、暮らしには困らなかったでしょう。
没年も不詳、どのような最期を遂げたかも分かりません。
ただ、清少納言が「定子にとって一番でありたい」と愛情を求めた日々は、彼女にとって1番大切な思い出だったのではないでしょうか。
※参考文献:
河合敦『平安の文豪 ユニークな名作を遺した異色の作家たち』ポプラ社、2023年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan