甲斐の虎・武田信玄を6度も退けたもう1人の虎!「上州の黄斑」と呼ばれた武将・長野業正の勇姿を紹介 (4/4ページ)
業正死後は長野業盛が家督を継ぎ、西上野に侵攻を繰り返す信玄に抵抗します。
しかし、業正という求心力を失った箕輪衆は徐々に弱体し、父に劣らぬ武勇を持った業盛でも信玄の侵攻を防ぎきれませんでした。
そして、永禄9年(1566)に2万の兵の総攻撃を受けたことで箕輪城は落城。業盛も23歳の若さで一族郎党と共に自刃し、箕輪長野氏は滅亡しました。
こうして西上野は信玄の領地となり、長野氏の旧臣たちは信玄に仕えるも、長野一本槍として長野家に仕えた剣聖・上泉信綱は、新陰流を普及させるための旅に出たと伝わっています。
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