大河「光る君へ」主要キャラの没年は?紫式部はいつまで生きる?前半の振り返り&後半の展開は…

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大河「光る君へ」主要キャラの没年は?紫式部はいつまで生きる?前半の振り返り&後半の展開は…

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しみにしていますか?筆者は毎週楽しみに、ここまで欠かさず観てきました!

7月7日は都知事選挙の都合でお休みでしたが、まひろ(紫式部/吉高由里子)と藤原道長(柄本佑)はどんな七夕を過ごしたのでしょうね。

今回は箸休めとして前半を振り返りつつ、後半の展開について予習しておきましょう!

前半の振り返り・まひろと道長の関係について

本作では、従来の引っ込み思案なイメージ?を大きく覆したまひろ(紫式部)。土佐光起筆

第1回放送「約束の月」の出会いから、ついたり離れたりしながら平安の世を生き抜くまひろと道長。

一度は妾になるチャンスがあったまひろですが、北の方(正妻)でなくちゃ嫌だと拒否したせいで嫁き遅れ、結局は藤原宣孝(佐々木蔵之介)と結婚しました。

しかし宣孝とは価値観があまりに違いすぎ、新婚早々上手く行きません。

そこへ再び道長が現れ、まひろは……というのがこの半年間のまとめです。

一言で表すなら「道長が権力を握り、まひろが不倫するまで」といったところでしょうか。

父や兄の野望を受け継ぎ、政界で着実に権力を握った道長に対して、まひろ(紫式部)については特に大きな動きがありません。

当時の女性は大体みんなそんな感じでした。まひろが何かと動き回って物語が進んでいくのは、大抵フィクションと思って下さい。

それはそうと、ここまで「光る君へ」を見てきて、ちょっと思うところがありました。

道長が聖人君子すぎる件

本作では漂白され切っている?藤原道長。『紫式部日記絵巻』より

本作ではヒロインのお相手役として、道長をどうしても悪く書きたくないと言うか、理想の王子様感を演出したい意図があるのでしょう。

人格も家柄も能力も財力も備えたパーフェクトな貴公子。何だか古き良き少女漫画の恋人役を見ているようです。

愛娘の藤原彰子(見上愛)をはじめ娘たちを次々と入内させ、皇室の外戚として権勢を極めていくのも、あくまで「内裏を清めるため」。

権力を握るための行動は姉の藤原詮子(吉田羊)や妻の源倫子(黒木華)が起こし、ダーティな発案や呪詛は安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が行うおんぶにだっこ状態。

このままあれよあれよと言う間に「この世をば……」に至るのでしょう。

ここまで善人に描こうとすると、道長自身の意思がまったく感じられず、面白みに欠けるのです。

むしろ亡き父・藤原兼家(段田安則)に輪をかけた権力欲の餓鬼として、兄たちや政敵らを陥れていく極悪人が、まひろとの出会いを通して少しずつ変わっていく。そんな展開の方が、より面白かったのではないでしょうか。

あるいは後半に「闇堕ち」していくのかも知れません。ここ最近はそういう流れが多いように感じます。

引き立て役にされる人たち

本作においては胡散臭く、ダーティな役回りの安倍晴明。 『武士道精華』より

道長が聖人君子なのは百歩譲るとしても、それを引き立てるために周囲の人々が必要以上に「下げられる」のもいささか残念でした。

直近では宣孝による「穢(けが)らわしい」「子供は死ぬもの」「そなた(だけ)に持ってきた」発言など、いくら道長との不倫を肯定するためとは言え、そこまで下げなくても……と思います。

以前は亡き兄の藤原道隆(井浦新)や藤原道兼(玉置玲央)も似たような発言をしていました。

※確かに当時の貴族なら言いそうな気がするものの、それなら道長だってそうした抵抗感を乗り越える描写がなくては不自然です。

例えば道長クラスの有名人であれば「本作はそういう解釈をするんだね」と広い視野で見られますが、マイナーな人物については「そういう人物なんだ」というイメージが定着しかねません。

ただでさえ平安時代が取り上げられることは少ないのに、少なくても数年から十数年以上にわたって不本意なイメージがついてしまうのは、いささか残念です。

※実際に言行が記録に残っているならともかく、創作に頼る部分が大きいので、尚更でしょう。

善であれ悪であれ、登場人物には愛とリスペクトを感じられる描き方を期待します。

後半の予習・紫式部はいつまで生きる?

大河ドラマは、主人公の死をもって終了するケースが大半です。

そうなると本作のまひろ(紫式部)がいつ亡くなるかが、ドラマの全体像を決めることになります。

一般的に紫式部は長和年間(1012~1016年)に没したとする説が有力です。

本作のまひろが天禄元年(970年)生まれ説を採用しているので、数え43~47歳で世を去ったことになりますね。

ただしこれには異説もあり、最長となる長元4年(1031年)没説も捨てきれません。

ソウルメイトたる道長は万寿4年(1028年)12月4日に63歳で薨去するので、その前後かも知れませんね。

主要キャラの没年は?

せっかくなので、まひろや道長を取り巻く人々の没年も確認しておきましょう。

まひろの家族 藤原為時:長元2年(1029年)ごろ卒去 藤原惟規:寛弘8年(1011年)卒去 藤原宣孝:長保3年(1001年)4月25日卒去 藤原賢子:永保2年(1082年)ごろ薨去 道長の家族 源倫子:天喜元年(1053年)6月1日薨去 源明子:永承4年(1049年)7月22日薨去 藤原頼通:延久6年(1074年)2月2日薨去 藤原教通:承保2年(1075年)9月25日薨去 皇室の方々 藤原詮子:長保3年(1002年)閏12月22日崩御 一条天皇:寛弘8年(1011年)6月22日崩御 藤原定子:長保2年(1000年)2月25日崩御 藤原彰子:承保元年(1074年)10月3日崩御 藤原元子:崩御年不詳 藤原義子:天喜元年(1057年)閏7月崩御 三条天皇:寛仁元年(1017年)5月9日崩御 藤原娍子:万寿2年(1025年)3月25日崩御 藤原妍子:万寿4年(1018年)10月16日崩御 朝廷の人々 藤原実資:永承元年(1046年)1月18日薨去 藤原公任:長久2年(1041年)1月1日薨去 藤原行成:万寿4年(1028年)12月4日薨去 藤原斉信:長元8年(1035年)3月23日薨去 源俊賢:万寿4年(1027年)6月13日薨去 藤原顕光:治安元年(1021年)5月25日薨去 藤原道綱:寛仁4年(1020年)10月15日薨去 藤原公季:長元2年(1029年)10月17日薨去 平惟仲:寛弘2年(1005年)3月14日薨去 安倍晴明:寛弘2年(1005年)9月26日卒去 藤原伊周:寛弘7年(1010年)1月28日薨去 藤原隆家:寛徳元年(1044年)1月1日薨去

※死去表現の使い分け:

天皇陛下・皇后陛下・中宮陛下など「陛下」と呼ばれる方は「崩御」 一位から三位までは「薨去」 四位から五位までは「卒去」 六位以下は「死去」としています。 第27回放送「宿縁の命」

まひろの娘(藤原賢子)は、誰がキャスティングされるのか(イメージ)

石山寺で道長と再会したまひろ……まさか夢オチってことはないと思いますが、夢でないならここで交わって、一人娘の藤原賢子(けんし/かたいこ。大弐三位)を身ごもるのでしょう。

宣孝はそれに気づくのか、気づいて激怒するのか、あるいは道長の権勢に泣き寝入りするのか。

いずれにしても、もうすぐ世を去るのであまりクローズアップされないでしょう。

まひろが「この子は、私一人で育てる」と言っていたのは早々に宣孝が先立ったのか、あるいは不倫が発覚して離縁状態なのか。

一方の内裏では、定子一派が駆逐されて道長の世が到来するのは目前です。

まひろはどのような経緯で『源氏物語』を書き始めるのか、そして友?であった清少納言(ファーストサマーウイカ)を憎むに至るのか等々、見どころも充実しています。

後半の展開も、楽しみですね!

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