父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!”絶世の美少年”と足利将軍たちとの関係【後編】

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父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!”絶世の美少年”と足利将軍たちとの関係【後編】

芸事に優れた才能を持ち、輝くような美貌を持ち合わせていた世阿弥に、10代で出会って虜になってしまった室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)。
二人の関係は、義満が50歳で病死するまで続きました。

そして、息子の6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)も父の男色の血を引き、美少年を愛したのでした。

【前編】の記事はこちら

父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!足利将軍たちと絶世の美少年たちの関係【前編】

父が築き上げたものを否定するも男色の血だけは引き継ぐ

紙本著色足利義教像(重要文化財。妙興寺蔵) wiki

足利義満と側室の間に生まれた足利義教息子ながら父親の北山文化を否定、世阿弥の甥に当たる音阿弥(おんあみ)を贔屓にしました。

義満が愛した世阿弥は能を演じる機会を奪われるなど、不遇な時代を迎え、晩年は佐渡に流されてしまいます。

父が築き上げたものをことごとく否定した義教ですが、男色の血だけはしっかり引き継いだのでした。

当時、仏教界では「男色」に寛容だった

長らく将軍不在となっていた幕府に第6代将軍として選ばれた足利義教は、将軍就任時は出家していました。元服前に出家したため、仏教の世界では天台座主にまでなったものの俗世での扱いは庶子と同じだったのです。

そのため、30をとうに過ぎた義教は還俗してから約1年後、ようやく征夷大将軍に就任することができたのです。

当時、仏教では男性の僧が女性と関係を持つことは厳しく禁じられていましたが、僧侶と若い稚児(剃髪しない元服前の少年修行僧)との男色関係には寛容でした。
もともと僧侶だった足利義教には男色・衆道は馴染み深かいものだったのでしょう。

稚児髷を結った牛若丸(鞍馬寺の稚児)月岡芳年画wiki

義教が愛した容姿端麗な若い武士

義教が愛したのは、赤松貞村(あかまつさだむら)。明徳4年(1393年)、赤松満貞の子で、非常に容姿端麗な武士だったそうです。

貞村は、妹が義教の側室となり男子を出産したことで義教に重用されました。

『嘉吉記』(作者不明の赤松氏に関する記録)に、「赤松貞村は、妹同様、義教にも寵愛された」という記述が残っているそうです。(実際には年齢差があり男色関係は難しかったのではという説もあり)

貞村は、ただ美しいだけではなく茶の湯にも通じた文化人で、義教の寵愛を一心に受けました。

「衆道物語」1661.wiki

義教の寵愛が引き起こした戦さ

足利義教は、幕府の財政政策の見直し・幕府権威の復活に励む一方、「悪御所」とも呼ばれる苛烈な性格で家臣のほんの少しのミスも許さず厳しい罰を与える将軍でした。

侍女のお酌の仕方が悪いと殴ったあげくに尼にさせたり、料理が口に合わないと料理人を厳罰に処したりなどやりたい放題。

当時の記録には「万人恐怖、いうなかれ、いうなかれ」と記されるほどでした。

その頃、最長老格であった赤松満祐(あかまつみつすけ)は、以前は将軍家と良好な関係にあったものの、義教にうとまれるようになっていました。

永享12年(1440年)3月、義教が、赤松満祐の弟の赤松義雅にいいがかりを付けて領地を没収、寵愛する赤松貞村に与えてしまうということが起こり、「次は赤松満祐の守護職・領地が取り上げられる」と噂が立ってしまいます。

義教の傍若無人な性格を考え、満祐は危機感を募らせたのでした。

身の危険を感じた満祐は、先手必勝とばかりに策略を考えました。1441年(嘉吉元年)、関東平定の祝勝会と称し、足利義教や武将達を自邸に招き宴会を開催したのです。

ところは、突如数十人の赤松満祐の家来が乱入し足利義教を殺害してしまいます。奇しくも、義教が贔屓にしていた音阿弥が能「鵜羽」を舞うさなかでの出来事だったそうです。

これが「嘉吉の乱」の始まりとなったのでした。

「自業自得」「将軍は犬死」と酷評されてしまった足利義教

足利義教木像(等持院)wiki

美貌の男色相手を赤松貞村を贔屓し、恐怖政治を続けてきた足利義教に対する反発心は相当強かったのでしょうか。義教に同情心は薄かったようです。

伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだなりしんのう)の日記『看聞御記』(かんもんぎょき)には、「(足利義教の死は)自業自得。将軍がこのような犬死をとげたのは聞いたことがない」

と、かなり辛辣な言葉を書き連ねていたそうです。

美少年好みの将軍の男色は、単なる男と男の恋愛関係、肉体関係のみならず、その時の政治を動かし、新しい文化を生み出し、戦さの原因にもなりと、歴史に大きな影響を及ぼしたのでした。

足利義満公(月岡芳年画)public domain

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