なんと放尿しながら戦った豪快すぎる戦国武将!上杉謙信の養育係も務めた猛将・金津新兵衛のエピソード (2/3ページ)
以後、越後国に土着した国人となり、越後守護代を歴任した長尾家に仕えました。しかし、長尾家は桓武平氏の流れを汲む一族であり家柄は長尾家よりも上でした。
そのため、新兵衛が仕えた長尾景虎(後の上杉謙信)は新兵衛を家臣ではなく、上位の客将と公言したそうです。
謙信が実の父のように慕った
そんな2人の縁は意外なことに、謙信が幼少期までさかのぼります。当時、謙信は父の長尾為景が高齢の時に産まれた子であり、それ故に父や家臣たちから本当に為景の子かと疑いの目を向けられていました。
謙信はそのような視線に耐えきれず、いつしか塞ぎがちな性格となってしまいました。
その状況下で新兵衛の妻が謙信の乳母となります。それがきっかけで新兵衛は、謙信の養育係となりました。
謙信は新兵衛の前では子どもらしい明るさを見せ、実の父のように慕っていたといわれています。
放尿しながら槍をふるった猛将だった新兵衛も謙信の思いに応えるため、天文15年(1546)に黒滝城城主の黒田秀忠が謀反を起こして居城の春日山城を攻めた際、敵から謙信を床下に隠してやり過ごした機転を利かせる活躍を見せました。
その後、新兵衛は安全を確認した後に謙信を助け出し、謙信の手によって秀忠は討たれました。