日本史上唯一、天皇を暗殺させた人物「蘇我馬子」の”独断犯行説”は現代では否定されている (3/4ページ)

Japaaan

推古天皇(Wikipediaより)

最初から、全体の総意のもとで暗殺が実行されたとしか考えられません。

とはいえ、臣下が結託して天皇を暗殺したと言われても、にわかには信じがたい人も多いでしょう。

しかしこの頃は、天皇は有力豪族の合議制で決まるのが常識であり、一人の権力者がゴリ押ししたからといってそれが通るとは限らなかったのです。

よって崇峻の場合も、蘇我氏の後押しだけでなく有力豪族の合意があったからこそ即位できたと考えるべきで、天皇が豪族たちの意をくまずコントロール不可能になっていたとすれば、暗殺されたとしてもおかしくはありません。

蘇我一族滅亡の真相

では、崇峻が暗殺された理由は何だったのでしょうか。それは、朝廷をとりまく環境に緊張が生じていたからだと考えられます。

崇峻が即位した翌々年にはが大陸を統一し、巨大国家が出現していました。隋は朝鮮半島の高句麗に軍を送るなどしたため、朝廷も隋を警戒し北九州に軍を派遣しています。

また国内でも蘇我氏に敵対する勢力がくすぶり続けており、朝廷は軍事的・政治的に安定していませんでした。まさに内憂外患です。

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