古代最大の内乱「壬申の乱」からの天武天皇 誕生の経緯はホントかウソか?【日本書紀】 (2/3ページ)
通説はこうした記述に基づいていましたが、近年は評価が変わりつつあります。
天智は最初から大海人に譲位するつもりだったのであり、大友皇子が即位できるとは考えていなかった、という、歴史学者・倉本一宏の説があるのです。
こうした説が出てくるようになったのは、根拠とされてきた『日本書紀』の成立事情や解釈をめぐり、さまざまな疑義が出たからです。
天智の皇位継承プラン倉本一宏氏の説によると、天智は大海人に譲位した後の皇位継承者も想定していたはずだとのことです。
血筋を考慮すると、候補者は四人です。一人目は、大友と十市皇女(大海人の娘)の子で天智の孫の葛野王。
二人目は、大海人と大田皇女の子である大津皇子。三人目は大海人と鶴野皇女の子である草壁皇子。
そして四人目は、大海人の妃である鸕野です(実際に即位したのは鸕野=持統天皇)。