女性天皇と愛人関係に!奈良時代の僧侶「道鏡」の悪評、実はとんだとばっちりだった… (3/4ページ)
以上が、『続日本紀』に基づくかつての通説でした。
しかし『続日本紀』は朝廷主導で奈良時代の歴史を描いた正史で、平安時代初期に編纂されたものです。その記述の信憑性については疑わしいところもあります。
処罰が軽すぎる?そもそも、道鏡が皇位簒奪を図ったのなら、『続日本紀』の記述には不可解な点があります。
天皇の死後、道鏡は親族もろとも下野薬師寺に追放されていますが、僧籍(僧侶の身分)は残されたままでした。皇位を狙った反逆者への罰にしては、軽いと言わざるを得ないでしょう。
なお、天皇との愛人関係に関する言説は、江戸時代に書物を通じて広がった俗説です。『続日本紀』には見当たらない記述であり、完全な創作だと考えたほうがいいでしょう。
現在では、道鏡の出世は孝謙が主導したという説が有力です。孝謙にとって道鏡は、自らの統治を強化するうえで重要なパートナーだったのです。
群臣のなかには孝謙とは別の血統を望み、謀反を企てる者も少なくありませんでした。そこで、仏教を重視した父・聖武天皇の路線にならい、仏教による統治の強化を図ろうとしたのだと現在は考えられています。