藤原定子が遺した寂しく悲しい三首の遺詠…大河ドラマ「光る君へ」7月21日放送振り返り

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藤原定子が遺した寂しく悲しい三首の遺詠…大河ドラマ「光る君へ」7月21日放送振り返り

「逝かないで……」と呟いたまひろ(紫式部。吉高由里子)。

先週の予告では藤原宣孝(佐々木蔵之介)が亡くなるのかと予想していましたが、その対象は病に倒れた藤原道長(柄本佑)でした。

目を覚ました道長の前にいたのは側室の源明子(瀧内公美)。正室の源倫子(黒木華)と静かに火花を散らします。

そんな中で藤原彰子(見上愛)が一条天皇(塩野瑛久)の中宮に立てられ、前代未聞の一帝二后が実現したのでした。

NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

NHK大河ドラマ「光る君へ」第28回放送「一帝二后」今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!

第28回放送「一帝二后」時系列 長保元年(999年)まひろ30歳 12月7日 藤原行成の働きに、藤原道長が感謝する(権) 12月27日 藤原行成が藤原詮子を訪ねる(権) 12月29日 一条天皇が藤原彰子の立后について悩まれる(権) 長保2年(1000年) まひろ31歳 1月10日 雪が一尺二、三寸(約36~39センチ)ほど積もる(御) 1月28日 藤原道長が安倍晴明に立后の日時を占わせる(御) 2月3日 藤原宣孝が馬二疋を道長に献上(御) 2月10日 藤原彰子が内裏を退出(御) 2月11日 藤原定子が内裏に招かれる(御) 2月25日 藤原彰子が中宮に、藤原定子が皇后に(御) 5月5日 藤原定子が清少納言の献上した青ざしを賞味(枕) 12月16日 藤原定子が難産のため崩御(権) ※(権)は藤原行成の日記『権記』、(御)は藤原道長の日記『御堂関白記』、(枕)は清少納言の随筆『枕草子』

今回は駆け足で藤原定子(高畑充希)の崩御までが描かれました。

どちらかと言えば主人公のまひろはオマケで、定子&清少納言(ファーストサマーウイカ)の方がヒロインっぽかったですね。

この頃の朝廷メンバーは?

イメージ

長保2年(1000年)時点 左大臣:藤原道長 右大臣:藤原顕光 内大臣:藤原公季 大納言:藤原道綱 中納言:藤原実資、平惟仲 参議:藤原公任、藤原斉信、源俊賢 蔵人頭:藤原行成

この頃の朝廷メンバー(登場人物のみ)は概ねこんな感じです。

藤原伊周・藤原隆家兄弟はまだ蚊帳の外、劇中では道長に逆怨みしていましたが、生前に定子を苦しめていたのは伊周も同じだったはずです(少なくとも劇中では)。

藤原顕光(宮川一朗太)と藤原公季(米村拓彰)は頼りにならないと言われていましたが、この頃は基本的にほぼ道長の独裁状態でした。

一条天皇と藤原彰子

笛を奏でる一条天皇。意のままにならぬ彰子だからこそ、かえって興味が湧いた?(イメージ)

道長の政具として一条天皇に入内した藤原彰子。あまりの幼さに「雛(ひいな)遊びの后(おままごとのお姫様)」と呼ばれた彼女は、とても定子に太刀打ちできる存在ではありませんでした。えいが

そんな彰子が一条天皇の興味を惹くようになったのは、劇中でも演じられた笛の一件です。

「笛の音は聴くものであって、見るものではありません」

だから顔を向けず耳を向けている。理屈は分からんでもありませんが、普通に考えて失礼でしょう。

畏れ多くも天皇陛下に対し奉り、何たる暴言……と思いきや、一条天皇は大らかに笑い飛ばしました。

【意訳】「だから貴女は幼いと言うのです。70のお爺さんをやり込めるなんて、恥ずかしいじゃありませんか……」

※『栄花物語』より

自身を70のお爺さんに喩えるのは、あまりに幼い彰子を女性として見ていないことの表れでした。

しかし、この一件で面白いと思ったのか、一条天皇は次第に興味を惹かれていきます。

定子の崩御後、遺された敦康親王を彰子(実際には道長夫妻)が養育したこともあって、二人は次第に距離を縮めていくのでした。

定子が食べた「青ざし」ってどんなお菓子?

清少納言。菊池容斎『前賢故実』より

妊娠中の悪阻(つわり)で食欲のない定子に対して、清少納言が献上した青ざし。

これは青麦を煎って臼でひいた粉を練り、その生地を糸のように綯(よ)ったお菓子です。さらに火は通した(蒸した?揚げた?)のでしょうか。

この場面は『枕草子』にも描かれています。

……青稜子(あをざし)といふものを持て来たるを、青き薄様(うすよう)を、艶なる硯(すずり)の蓋に敷きて、「これ、笆(ませ)越しにさぶらふ」とて、まゐらせたれば、
みな人の花や蝶やといそぐ日も わが心をば君ぞ知りける
この紙の端をひき破(や)らせたまひて書かせたまへる、いとめでたし

※清少納言『枕草子』第222段

【意訳】青ざしというお菓子を青い薄紙に載せて「笆越しにございます」と献上した。定子は青い薄紙の端を引き破いて和歌を詠む。

「みんなが私を見捨て、彰子様を花よ蝶よと持ち上げる中、貴女だけは私の心を理解してくれますね」

これほど嬉しいことはなかった。

……この思い出が、清少納言をして「節(せち)は五月にしく月はなし。(節句は5月が一番素敵)」と言わしめたのでした。

「「いつも、いつも」」

他愛ないことで笑い合えた日々は、清少納言にとって何物にも代えがたい宝であったことでしょう。

藤原定子の崩御・三首の遺詠

一条天皇と藤原定子。『枕草子絵巻』より

難産の末に崩御されてしまった定子。その遺詠は、どれも悲しいものでした。

夜もすがら 契りし事を 忘れずは
恋ひむ涙の 色ぞゆかしき

【意訳】二人で契ったあの夜をお忘れでなければ、どうか涙を手向けて下さい。その涙はどんな色なのでしょうか。

これは劇中にも出て来ましたね。心中の思いを隠して一条天皇を突き放し、彰子を愛するように伝えた定子の悲しみが胸を打ちます。

知る人も なき別れ路(ぢ)に 今はとて
心ぼそくも 急ぎたつかな

【意訳】これから旅立つ冥途には誰も知る人がいなくて寂しいけれど、私は急ぎ逝かねばなりません。

夫や子供たちを遺して旅立たねばならぬ無念さが伝わってくる一首。あちらには、亡き両親が待っていてくれるでしょうか。

煙とも 雲ともならぬ 身なれども
草葉の露を それとながめよ

【意訳】私は土葬されるので、火葬とは違い煙にも雲にもなりません。だから草葉を濡らす露を見て、私を思い出して下さい。

これもまた、実に寂しい一首と言えます。紀行でも言及された通り、定子は鳥辺野に土葬されたのでした。

第29回放送「母として」

若くして養母となる藤原彰子(上東門院)。梅員筆

まひろ(吉高由里子)の娘、賢子は数えの三歳に。子ぼんのうな宣孝(佐々木蔵之介)に賢子もなつき、家族で幸せなひとときを過ごしていた。任地に戻った宣孝だったが…。まひろを案ずる道長(柄本佑)は、越前国守の再任かなわず帰京した為時(岸谷五朗)に子の指南役を依頼するが、為時は断ってしまう。一方、土御門殿では、詮子(吉田羊)の四十歳を祝う儀式が盛大に執り行われていた。しかし、詮子の身体は弱っており…

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

これを見て「あぁ、宣孝が卒去するのだな」と感じました。妻を置いて任国へ旅立ち、そのまま亡くなる様子は『源氏物語』の空蝉(うつせみ)・伊予介(いよのすけ)夫婦を思わせますね。

かくして邪魔者はいなくなった……もとい未亡人となったまひろを案じて道長は遠慮なくアプローチを仕掛けるようです。その内、賢子が自分の娘だと知らされるのでしょうね。

また久しぶりに帰京する父・藤原為時(岸谷五朗)の活躍も楽しみです。

サブタイトルの「母として」とは、一人娘を抱えたまひろと敦康親王の養母となった彰子を指しているものと思われます。

果たして今後、どんな展開を迎えるのか、次週も注目して行きましょう!

トップ画像:NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

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