源頼朝と源義経、兄弟間の争いは後白河法皇のせい?悲劇の兄弟ゲンカの真相を探る (2/4ページ)
重要な存在だった義経
頼朝が義経の検非違使任官に激怒したことを裏付ける、同時代の史料は存在しません。むしろ任官後に乳母の孫娘との婚姻を後押しするなど、頼朝は義経を重用していました。
乳母は比企尼といい、伊豆に流され味方のいなかった頃の頼朝を育てて支援した大恩人です。彼はその恩を忘れず、比企氏を重宝していました。そんな比企氏との婚姻を後押ししたのは、頼朝にとって義経が重要な存在だったことを示すものでしょう。
また、義経が平氏追討の任務からはずされたのは事実ですが、その理由は頼朝の怒りを買ったからではなく、畿内の平氏残党に対処するためです。都の治安維持と畿内の平定が、義経に任された任務だったのです。
そもそもこの時期に、後白河が頼朝と義経の仲を引き裂くメリットはありません。
源氏と後白河の共通の敵である平氏は、いまだ西国で勢力を保っていました。頼朝と義経が対立してしまえば畿内の治安が悪化して、平氏が勢いを取り戻すかも知れません。そんな事態は招きたくなかったはずです。
関係悪化の真相では、なぜ頼朝と義経の関係は悪化したのでしょうか?
考えられる要因は二つあります。まず、壇ノ浦の戦いの失策です。頼朝は三種の神器と安徳天皇を保護すべく、持久戦に持ち込むつもりでした。