幕末の「江戸城無血開城」は勝海舟の実績ではなかった!実は手柄を横取り、話は盛りすぎ… (2/4ページ)
対馬を不法占拠したロシア軍を英国の協力で退散させたという「対馬事件」も、実際に動いたのは箱館奉行衆です。
『氷川清話』では自分の功績のように記していますが、事件が起きた時、勝は江戸にいました。
「無血開城」の真の功労者はそして慶応4年(1868)3月14日に決定した江戸無血開城も、勝だけの手柄ではありませんでした。
江戸に迫った新政府軍に対して、勝は周到な準備をしたとされています。
彼はイギリス公使を介して新政府軍へ圧力をかけ、侠客に江戸市中での焦土作戦を命令して新政府軍をけん制。この状況を利用した交渉術によって、西郷隆盛に江戸攻撃を中止させた——というのが通説です。
結城素明画『江戸開城談判』(聖徳記念絵画館所蔵・Wikpediaより)
しかし実際には、勝がイギリスの外交官と対面したのは江戸無血開城後の24日のことでした。また、焦土作戦のことを西郷は知りませんでした。
つまりイギリスの圧力も焦土作戦も、江戸無血開城とは無関係だったのです。
そもそも、西郷から攻撃中止の判断を引き出したことは、勝だけの功績ではありません。慶喜に仕えた山岡鉄舟の活躍があったからこそ、江戸は火の海となることを避けられたのです。