【光る君へ】親友・紫式部のイタズラにぷんぷん!藤原彰子に仕えた『宰相の君 (藤原豊子)』とはどんな女性? (2/4ページ)
寛仁3年(1018年)8月28日に敦良親王が元服した際、正四位に叙されています。
のち従三位に昇った豊子ですが、驕り高ぶるようなこともなく、女房たちから慕われました。
豊子を慕う女房の一人が紫式部であり、二人は親しく交流したと言います。
そんな二人の関係を示すエピソードが『紫式部日記』にあるので紹介しましょう。
二十六日、御薫物(おたきもの)あはせはてて、人々にもくばらせたまふ。まろがしゐたる人々、あまたつどひゐたり。
上よりおるる途に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑(しおん)、いろいろの衣に、濃きがうちめ心ことなるを上に着て、顔はひき入れて、硯(すずり)の筥(はこ)にまくらして、臥(ふ)したまへる額つき、いとらうたげになまめかし。絵にかきたるものの姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の心地もしたまへるかな」といふに、見あけて、「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を心なくおどろかすものか」とて、少し起きあがりたまへる顔の、うち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそはべりしか。