今年で100周年!「甲子園球場」の名前の由来、誕生のきっかけ…甲子園の知られざる歴史に迫る

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今年で100周年!「甲子園球場」の名前の由来、誕生のきっかけ…甲子園の知られざる歴史に迫る

みなさんは、夏と言えばなにを思い浮かべますか?海やプール、旅行、山登り、スイカ割り、キャンプ、花火大会などなど、楽しいイベントがたくさんありますよね。

しかし、日本の夏と言えば、忘れてはならないのが「夏の甲子園・高校野球」ではないでしょうか。高校球児たちの聖地とも呼ばれる甲子園球場。実は、2024年は開場100周年を迎える記念の年なんです。

そこで、この記事では、甲子園球場の歴史に迫ってみたいと思います。

日本に野球が伝わったのはいつ?

今でこそ日本で大人気のスポーツである野球ですが、発祥は日本ではありません。野球の原型はイギリスの「クリケット」や「ラウンダーズ」だと考えられています。特にラウンダーズは、アメリカに伝わり、現在の野球に近いものへと発展していきます。

そんな野球が日本に伝わったのは1872年。高校で講師をしていたアメリカ人のホーレス・ウイルソンそいう人物によって学生たちに教えられていきました。

1878年には「新橋アスレチック倶楽部」という名前の日本初の正式な野球チームが誕生。1882年からは大学野球も流行していきます。

そして、1915年からは今の甲子園の前進となる大会「全国中等学校優勝野球大会」が高校生の間でも始まりました。

盛り上がりとともに、本格的な野球場が必要に

「全国中等学校優勝野球大会」は、次第に人気を集めていきます。第3回以降は、兵庫県武庫郡鳴尾村の鳴尾球場で開催されていたのですが、第9回大会のとある試合で観客がグラウンドになだれこみ、試合が中断される事態となりました。

これをなんとかしなければと思ったのが、大会を主催していた大阪朝日新聞。阪神電鉄に対して本格的な野球場建設を提案します。もともと、1922年(大正11年)に鉄道沿線の開発を構想していた阪神電鉄。開発の一環として野球場の建設が始まりました。

「甲子園」という名前の由来

工事を経て、甲子園球場が誕生したのが1924年(大正13年)の8月1日でした。この年は、十干、十二支それぞれの最初にあたる「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出会う縁起の良い年。「甲(きのえ)」と「子(ね)」を組み合わせて、地域一帯を「甲子園」、球場を「甲子園大運動場(当時の名称)」と名づけたのです。

ちなみに、甲子園球場のモデルはニューヨーク・ジャイアンツの当時の本拠地だったポロ・グラウンズだと言われています。

開場の翌年からは春の大会も

球場の完成に伴い、その夏に行われた第10回大会。ちなみに、甲子園球場といえば美しいツタが特徴的ですが、このツタも1924年の12月に植栽されました。そして、翌年の春には、第2回全国選抜中等学校野球大会も開催されました。以降、「野球の聖地」と呼ばれるようになりました。

戦争を経験し、今でも愛され続ける甲子園球場

1935年には、創設されたプロ野球・阪神の本拠地となります。太平洋戦争中には、軍事施設として利用されることもありました。また、戦後もアメリカ軍に接収されるなどの困難がありました。1947年にスタンドの一部とグラウンドの接収が解除され、春と夏の中等学校野球、プロ野球が再開。球場全ての接収解除は1954年になってからのことでした。紆余曲折を経ながら、甲子園球場は今でも多くの人に愛されています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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