神道を信仰しキリスト教を嫌い続けた、戦国武将・大友宗麟の正室「奈多夫人」の壮絶すぎる人生 (2/4ページ)
夫を失った奈多夫人は、宗麟の正室として生きていくことになりました。
尚、宗麟には奈多夫人を正室にする前に一色夫人と呼ばれる正室がいましたが、家督相続した天文19年(1550)に離縁しています。
神道を信仰し、キリスト教に反発する
宗麟との間で大友義統(よしむね)や親家、親盛といった男児を生みました。跡取りを出産したにも関わらず、宗麟は複数の側室を持っていました。
そのことに不満だった奈多夫人は、国中の僧侶や山伏を使って女性へのお手つきを止めさせる祈祷をしたといいます。
また、父親の奈多鑑基(なた-あきもと)が奈多八幡宮の大宮司ということもあり、神道を信仰していました。
対して、宗麟や大友家中はキリスト教を信仰し始めていたので、これに反発したことで2つの事件を起こしてしまいます。
自身の子に棄教を迫る1つ目の事件は天正3年(1575)、奈多夫人の娘であるテクラ(久我三休室)に仕えるキリシタンの少年・エステバンが、寺から護符を持ってきてほしいというテクラのお願いを断ったことが原因で起こりました。
奈多夫人はエステバンの行動に怒り、棄教しなければ死罪とするように伝えますが、これも断ったことで義統に命じて死罪にしようとします。
しかし、事態を重く見た宗麟がエステバンの死罪を止めたことで、この事件は収束しました。