神道を信仰しキリスト教を嫌い続けた、戦国武将・大友宗麟の正室「奈多夫人」の壮絶すぎる人生 (1/4ページ)
九州地方の戦国武将・大友宗麟の2人目の正室として知られている奈多夫人。
それだけではなく奈多夫人は、略奪婚されていたり、宣教師たちからイザベルと呼ばれていたり、自殺未遂していたりと宗麟とキリスト教に人生を翻弄された人物でもありました。
今回はそんな奈多夫人の悲劇的で波乱万丈な人生をご紹介します。
結婚していながら宗麟の妻となる
奈多夫人は九州一の美女として知られており、宗麟の家臣である服部右京亮に嫁いでいました。
しかし、奈多夫人の美貌に惹かれたか何かで、宗麟はあろうかことか自身の妻としてしまいます。加えて、宗麟の子を宿しており、ジェスタと呼ばれた娘を出産していました。
また、服部右京亮は宗麟の母方の叔父にあたり、甥の宗麟に妻を奪われた虚しさは計り知れなかったかと思われます。それが原因かは不明ですが、天文22年(1553)に謀反を起こした罪で服部右京亮は粛清。
