自分のことが嫌いだった少女が俳優になるまで。内田慈が明かす「人生の原動力」 (2/5ページ)

マイナビウーマン

『本当はもっとめちゃくちゃやってもいいんだよ』『別に変でもいいんだよ』って」

阿佐ヶ谷時代は、まさしく「若い頃の苦労は買ってでもしろ」を地で行くような感覚で、「『いつかインタビューのネタにできるかも……!?』というくらい前向きに過ごしていた」という内田さんだが、「とはいえさすがにキツいと思う日もありました(笑)」と振り返る。

「風呂無しどころか、洗濯機すら持ってなかったので(笑)。真冬に水しか出ないアパートのシンクで頭を洗ったり、溜め込んだ洗濯物を抱えて近所のコインランドリーまで何度も往復したりするのは、実際にやってみると『こんなにシンドイものなんだ!』って痛感させられたのも事実(苦笑)。ですが、他の人があまり経験したことがないことを、いま私はやっているんだ!』という風に思えた、という意味では、どこか、自己肯定感のアップにもつながっていたというか。自分自身の新たな一面の発見になっていた気もします

■なかなか思うようにいかないフリー時代

19歳で芝居を始めた当時は、役者をやるなら劇団や事務所に所属するのが一般的であることさえ知らず、チラシに印刷されていたオーディションの告知を見ては、芝居のジャンルや公演規模を問わず興味の赴くままに受け、フリーで活動していたという。芝居はあくまで自分が好きだからやっていることであり、「仕事と思ってなかったからこそ頑張れた」のだとか。

25歳ごろから舞台だけでなく映像の仕事も始めたことで、自身でスケジュール管理をするのが難しくなり、事務所に所属。以降も、活動基盤を舞台に置きつつ、守備範囲も広げていった。だが、仕事環境にも慣れ、大抵のことは経験値で対応できるようになった世のアラサー女性が直面するのと同様、内田さんにも少しずつ心境の変化が生じ始めたという。

「ちょうど30代半ばの頃に、『大きな冒険をするなら、今が最後のチャンスなのかもしれない』って、直感的に思ったんです。

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