実は出世できるはずがなかった井伊直弼…彼はいかにして巨大な権力を持つ地位へ上り詰めたか? (2/3ページ)
これだけ後の方の子供となると藩主となる望みはあまりに薄く、その待遇は藩主の息子としては最低のものだったとされています。
十七歳のときには、彦根城外に小さな屋敷と三〇〇石の捨て扶持を与えられて、静かに暮らしていました。
最後の跡取り当時、大名家で嫡男以外が一発逆転を狙うには、他の大名家の養子になるしかありませんでした。
跡取りのいない大名家の養子になれば、その大名家の跡取りになれます。しかし、十四男である直弼にはその口もありませんでした。不遇の身分だったと言ってもいいでしょう。
そんな冷や飯食いの生活が一転するのは、二十歳のときのことです。跡継ぎである世子・直元が病死したのです。
そのとき、直弼の兄たちはすべて他家へ養子に出ており、井伊家には直弼しか残っていませんでした。そこで直弼は、藩主だった兄・直亮の養子となり、井伊家の跡取りとなったのです。
その後、直弼は直亮からイジメを受けましたが、そこは耐えるしかありませんでした。耐えれば、藩主の座が待っているからです。
そして直弼三十五歳のときに直亮が死去、ついに十四男坊が彦根の藩主の座へと就くことになったのです。
時代の流れに乗るそんな直弼に大老の座が回ってきたのは、井伊家の家格と、時代の流れによるものが大きかったと言えそうです。