自由恋愛NG!時には武将も農作業!?戦国大名の家臣たちのリアルな日常生活を解説【今さら聞けない戦国時代】 (2/4ページ)
それらの土地から年貢を得ることで、家臣たちは収入を得ていたのです。中世の武士は、一か所の領地を、命にかけて生活の頼みとしました。これを表す「一所懸命」が語源となって、「一生懸命」という言葉が生まれたのです。
そして戦争が起こると、家臣は主君のために必死に戦い、最終的に勝利を得た場合は、新たな土地を与えられました。
逆に、家臣が主君を裏切ったり、何か不始末をした場合は、所領を取り上げられることもあったのはご承知の通りです。
ただ、家臣は土地を得たとしても、不作のときには思ったような収入が確保できません。不作続きとなると農民が他領に逃亡し、耕作地を放棄することもありました。
そういうときは人返しといい、他領に逃亡した農民を自領に連れ戻すことがあり、大いに苦労したようです。
ただ、例外的なケースとして商人的な性格を持つ家臣も存在し、農産物や海産物の売買により収入を得る者もいたようです。
農作業と結婚では、家臣たちは自分自身が農作業に従事することはあったのでしょうか。
これについては、城持ちの上級家臣は別として、在地性の強い土豪クラスの者は農作業に従事していたようです。当時の史料には、自分で耕作することが手作などと記されています。
太閤検地や刀狩りにより「兵農分離」が進んだとはいわれていますが、ことは簡単ではありませんでした。
実際には「兵農未分離」の状態が長らく続き、完全に達成されるには長い時間を要したのです。
次に、結婚について。
