自由恋愛NG!時には武将も農作業!?戦国大名の家臣たちのリアルな日常生活を解説【今さら聞けない戦国時代】 (3/4ページ)
戦国時代の結婚はほとんどが政略結婚であり、自由恋愛によるものは基本的に認められていませんでした。
無断で結婚してはならないことは、駿河の大名・今川氏親が大永6年(1526)に制定した分国法『今川仮名目録』33条などの武家家法にも規定されています。
家臣が勝手に他家と結婚すると、徒党を組み敵対する恐れがあったので、それを防ぐ意味があったのです。
教養も必要それから、当時の家臣たちは学問や教養を必要としていました。
尼子氏の家臣である多胡辰敬は、『多胡家家訓』の中で学問(教養)の重要性を説いており「学問のない人は理非(正と悪)の判断すらできない」とまで言っています。
つまり、自身の資質を高めて国を治めるうえで、戦国大名の家臣たちにとって学問や教養は必須だったのです。
周防国の大内氏や越前国の朝倉氏は、京都から知識人である公家を招き『論語』などの中国の古典の講義を受けていたほどです。
それは、彼ら自身が深い教養を身に付け、自らの権威を高めたかったという側面もありました。
同時に和歌や連歌なども、主君・君主ともに必要な教養として位置づけられており、播磨の赤松義村は、京都から公家の冷泉為広を招き、家臣も同席した上で講義を受けています。