【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る (3/6ページ)
『紫式部日記絵巻』より
……恐ろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て、事果つるままに、宰相の君に言ひ合はせて、隠れなむとするに、東面に殿の君達、宰相中将など入りて、騒がしければ、二人御帳の後ろにゐ隠れたるを、取り払はせたまひて、二人ながら捉へ据ゑさせたまへり。……
※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条
【意訳】宴もたけなわ、皆さん酔っ払って乱痴気騒ぎを繰り広げるので、私(紫式部)は恐ろしくてならなかった。
近くに宰相の君(藤原豊子)がいたので、一緒に几帳の後ろへ隠れようとする。
しかしそこへ道長や宰相中将らがやって来て、几帳を取り払ってしまう。
もう逃げられない。私と宰相の君は引き戻されて、道長のそばに座らされた。
「和歌を詠めば許してやろう」
和歌を強要された藤式部。宰相の君は免除されたのだろうか(イメージ)
……「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ」と、のたまはす。いとわびしく恐ろしければ聞こゆ。
いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば
「あはれ、仕うまつれるかな」と、二たびばかり誦ぜさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、
あしたづの 齢しあらば 君が代の千歳の数も かぞへとりてむ
さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれにことわりなり。