【光る君へ】怨霊の祟りによって殺された藤原道長と明子の娘・藤原寛子。悲劇の生涯をたどる (2/3ページ)
「こんなの酷すぎます!先の見込みがない親王殿下に入内させるなんて、あの子が哀れではありませんか!」
明子はさぞかし怒り嘆いたことでしょうが、敦明親王は春宮の座を辞退したことにより、准太上天皇(上皇に準ずる存在)としての身分を与えられています。
「まぁまぁ、たとい一代であっても小一条院は天皇陛下に準ずる存在であらせられるのだから、そう悪い相手ではあるまいよ……」
なんてやりとりがあったかはともかく、寛子は敦明親王の后となったのでした。
怨霊によって生命を奪われるしかし敦明親王には先妃の藤原延子(えんし/のぶこ)がいました。父親は左大臣の藤原顕光(あきみつ)です。
権力の絶頂を極める道長の娘が送り込まれてしまったら、とても太刀打ちできません。
あわれ延子は敦明親王に捨てられた形となってしまい、延子はほどなく失意の内に世を去ったのです。
「何ということだ……もはや何の望みも持てない」
顕光も娘を慰めるように世を去りますが、話はこれで終わりません。
「「おのれ道長、我らの怨み、晴らさでおくべきか!」」
藤原顕光と延子の父娘は怨霊となって化けて出て、その怒りを寛子に向けたのでした。
かくして万寿2年(1025年)7月9日、寛子は怨霊の祟りによって生命を奪われてしまったのです。
他にも道長の一族に次々と祟りをなしたため、人々は顕光を悪霊左府(あくりょうさふ。左府は左大臣の意)と呼んで恐れました。
なお母の明子はいまだ健在。愛娘を奪い去られた悲しみと怒りを、誰に向けたのでしょうか。