【光る君へ】怨霊の祟りによって殺された藤原道長と明子の娘・藤原寛子。悲劇の生涯をたどる (3/3ページ)

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藤原寛子・略年表

父・道長の野望を果たす政具とされた寛子(イメージ)

長保元年(999年) 誕生(1歳)

寛弘6年(1009年) 裳着、従四位上に叙せられる(11歳)

長和2年(1013年) 従三位に昇叙(15歳)

寛仁元年(1017年) 敦明親王と結婚、高松殿女御と呼ばれる(19歳)

寛仁2年(1018年) 長女の儇子内親王(けんし/さとこ)を出産(20歳)

治安3年(1023年) 長男の敦元親王(あつもと)を出産(25歳)

万寿2年(1025年) 病により薨去。臨終に際して藤原顕光と藤原延子の怨霊が出現(27歳)

終わりに

今回は道長と明子の娘・藤原寛子について悲劇の生涯をたどってきました。

入内する時点から既に不穏だった予感どおり、祟り殺されてしまった最期に、胸がつぶれそうな思いですね。

しかし延子だって可哀想、顕光だって娘が受けた理不尽な扱いに怒るのは解ります。

要するに「全部道長のせい」と言えるのではないでしょうか。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、彼女らの悲劇がどのように描かれるのか、固唾をのんで見守りましょう。

※参考文献:

上田正昭ら『日本人名大辞典』講談社、2001年12月 倉本一宏『三条天皇 心にもあらでうき世に長らへば』ミネルヴァ書房、2010年7月

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