【光る君へ】藤原道長、許すまじ!夫婦の絆を引き裂かれ絶望の内に世を去った藤原顕光の娘・延子の悲劇 (2/3ページ)
やがて長和5年(1016年)に三条天皇(居貞親王)が譲位し、敦成親王(あつひら。後一条天皇)が皇位を継承すると、敦明親王は春宮(皇太子)となります。
晴れて春宮妃となった延子ですが、人生の春はここまで。ほどなく三条天皇(三条院)が崩御すると、延子たちの前途は暗転してしまうのです。
絶望のどん底で寂しい最期
かつて三条天皇は道長に対して「敦明親王を次の春宮にする」という条件で譲位しました。
にも関わらず、三条天皇が崩御するや手のひらを返し、敦明親王に春宮の座を辞退するよう圧力をかけたのです。
外戚である藤原顕光ではとても道長に太刀打ちできず、敦明親王はやむなく「自発的に」春宮の座を辞退したのでした。
延子はその悲しみを歌に詠んでいます。
雲居まで たち上るべき 煙かと
見えし思ひの ほかにもあるかな※『大鏡』より
【意訳】雲の彼方まで煙が上っていくと思ったのに、その前途は潰えてしまいました……。
そんな延子の思いなど知らず、道長は敦明親王を准太上天皇(上皇に準ずる存在)として遇し、小一条院の尊号を贈ります。
しかし実際には冷遇され、敦明親王は周囲との確執を深めていくのでした。