【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とはどんな人物だったのか? (2/4ページ)

Japaaan

【藤原信経・略系図】
藤原雅正―藤原為長―藤原信経
藤原雅正―藤原為時―紫式部ら

長徳元年(995年)に六位蔵人(ろくいのくろうど)として一条天皇に仕え、また右兵衛尉(うひょうゑのじょう)・兵部丞(ひょうぶのじょう)・式部丞(しきぶのじょう)を兼任しています。

激務に追われる信経たち(イメージ)

六位蔵人:天皇陛下の側近。身の回りの雑務を行うため、六位だけど内裏に昇殿できる特権を持つ人気ポジション。 右兵衛尉:宮中を護衛する(左右)兵衛府の三等官(じょう)。 兵部丞:全国の武官を管理する兵部省の三等官(じょう)。 式部丞:官僚の人事や教育などを管轄する式部省の三等官(じょう)。

六位蔵人の激務を通して高い実務能力を評価されたのでしょう。

現場を担う中間管理職として、各部署で引っ張りだこの人気だったようです。

しかしデザインセンスはいまいちだったようで、内裏の家具や調度品などを制作する作物所(つくもどころ)の別当(べっとう。長官)を務めた時は、清少納言からボロッカスに貶されてしまいました。

「あなた何なの、この図面は?もしこのまま家具を作ったら、ダサ過ぎてとても使えたものではないわ!中宮陛下の品位をも損ねることになってしまうの。やり直し!」

……とまでは言われてないでしょうが、こんなやりとりも清少納言の随筆『枕草子』に残されています。

長徳4年(998年)に従五位下となり、河内権守(かわちごんのかみ。

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