【光る君へ】美的センスはいまいち?紫式部の義弟・藤原信経とはどんな人物だったのか? (3/4ページ)

Japaaan

員数外の国司長官、名誉職)に任じられました。

寛弘6年(1009年)ごろ越後守(えちごのかみ)に任じられ、翌寛弘7年(1010年)ごろに藤原為時三女と結婚します。

彼女の子供かは分かりませんが、藤原信経には藤原行宗(ゆきむね)・藤原則経(のりつね)という息子たちがいました。

寛弘8年(1011年)には越後守を辞任し、その後任として舅の為時が今度は越後守になります。

京都に戻った信経は内蔵権頭(くらのごんのかみ)を経て、長和3年(1014年)に再び越後守となりました。

もちろん為時と入れ替わり、この人事は何だか不思議な感じですね。

それ以降、信経の動向はうかがえず、いつ世を去ったのかも不明となっています。

藤原信経・略年表

清少納言に貶され、落ち込む信経(イメージ)

安和2年(969年)1歳
藤原為長の子として誕生 長徳元年(995年)27歳
1月11日 六位蔵人となる。右兵衛尉として見える(これ以前からなっている)。 長徳2年(996年)28歳
1月25日 兵部丞となる。
5月3日 作物所別当を兼任する。 長徳3年(997年)29歳
1月28日 式部丞となる。 長徳4年(998年)30歳
1月7日 従五位下に叙せられる。
1月25日 河内権守となる。 寛弘6年(1009年)41歳
10月15日 越後守として見える。 寛弘8年(1011年)43歳
12月18日 前越後守として見える(越後守を辞している)。 長和2年(1013年)45歳
4月15日 内蔵権頭となる。
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