戦国時代の二大名城!信長の「安土城」と光秀の「坂本城」はどのように廃城へ追い込まれたか (3/4ページ)

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しかしこの翌年には、織田信雄と豊臣秀吉が衝突。秀吉が勝利したことで、6歳だった三法師は岐阜城へ移されました。

さらに1585 (天正13)年、秀吉が関白に就任して名実ともに天下人になると、秀吉の甥である羽柴秀次が八幡山に居城を築くさいに安土の城下町は移されてしまい、安土城は廃城となります。

こうして、天下の名城は歴史の舞台から姿を消したのです。

それから404年後の1989 (平成元)年には、滋賀県が20年の予定で大規模な発掘調査をスタート。これにより当時の様子が明らかになるとともに、石段や石垣が修復工事されていきました。

かつての安土城の大手口石段

現在は大手道を中心に整備され、その独特の遺構を見学できます。さらに、多くの研究者によって天主の復元図やCGが発表されています。

廃城となったままの坂本城

次に坂本城ですが、こちらは安土城から撤退した明智秀満が入り、秀吉の軍勢に包囲されながらも、よく耐えていました。しかし、本能寺の変から13日後には秀満自らが火を放って落城しています。

その後は秀吉側の丹羽長秀、次いで杉原家次、そして浅野長政が城主となって、安土城と同じく一時的なにぎわいを取り戻しています。しかし1586(天正14)年、浅野長政が城を大津に移したことで坂本城は完全に廃城となりました。

現在は坂本城址公園となっていますが、当時をしのばせるものは、わずかに残った石垣だけです。

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