新選組「近藤勇」実は全くの別名だった!泣く子も黙る新選組の局長が3回も名前を変えた理由とは? (2/3ページ)
子どものころは、手をつけられないほどの餓鬼大将だったそうです。
宮川家は豊かな農家で、自宅に剣術の道場まで持っていました。父の宮川久次郎は、月に三度、天然理心流宗家の三代・近藤周助を招いては稽古を積んでいたといいます。
それで子の勝太も稽古をつけてもらっていており、早くから腕をあげていたようです。
その宮川勝太がただ者ではないと世間に思わせたのは、父の留守中の宮川家に盗賊が侵入したときのことです。
次兄の粂次郎が刀をふるって盗賊を追い払おうとすると、勝太はそれを制止しました。そしてこうささやいたのです。
「賊は忍び込んだばかりで、気が立っているから、倒すのに骨折りです。でも、立ち去るときには早く逃げようとして、心が留守になっています。その虚をつくことが、剣の秘訣です」と。
兄はこれに納得して自重し、盗賊が引き揚げようとするときに一気に斬りかかりました。そうして数人を倒したのち、さらに追撃を試みます。
が、ここでまた弟の勝太が制止しました。「窮鼠、猫を噛むのことわざがあります。無駄な後追いは危険です」と言い、これに兄もまた納得しました。非常事態にもかかわらず、ちょっと信じられないほどの冷静な判断力です。
後継者として養子にこの一件は、宮川勝太がただの餓鬼大将ではないことを周辺に示す結果になりました。剣術の師範である近藤周助も、勝太こそ自分の後継者だと考えたようです。
もともと彼は子に恵まれていなかったこともあって、勝太を養子にしました。