なんと90歳を超えて合戦へ! 戦国時代のご長寿武将「龍造寺家兼」のお家再興ドラマ【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

少弐氏や龍造寺氏の居城となった「勢福寺城(せいふくじ)」跡。Wikipediaより

少弐氏の再興と内乱

16代目当主・資元が自刃して一時的に滅亡した少弐氏だったが、息子の「冬尚(ふゆひさ)」は家臣を頼り落ち延びていた。その後、家兼を中心とした家臣団の助力もあり、1540年に少弐氏の再興に成功する。

救国の立役者となった家兼だが、同時に宿敵である周防国の大内氏と内通しているという噂が存在しており、少弐家中には龍造寺氏に反発する勢力が形成されはじめていた。

迎えた1545年。龍造寺氏に反感を持っていた少弐氏の家臣「馬場 頼周(ばば よりちか)」を中心とする旧臣らは、かねてから計画していた龍造寺一族の暗殺を実行に移す。

結果的に家純と家門の息子二人に加え、孫たちも暗殺されてしまった龍造寺氏。家兼自身は生きながらえ、筑後国に逃れたという。この時、すでに90歳を超えた高齢であった。

90歳を超えての挙兵

家督を継いでいた身内が暗殺されたことで龍造寺家は実質的に滅亡した。しかし翌年、体制を整えた家兼は逃亡先の武家「蒲池(かまち)氏」の後ろ盾を受け、馬場頼周らを討つために挙兵する。

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