メディア文化が大きく開花!大正時代、総合誌・大衆向け・女性向けなどさまざまな「雑誌」が登場
みなさんは、普段「雑誌」を読みますか?週刊誌、月刊誌、女性誌、少年雑誌など、さまざまな種類の雑誌がありますが、最近では廃刊に追い込まれるものや、月刊だったものが季節ごとの出版になるなど、苦境に追い込まれているのも事実。
では、かつての雑誌はいったいどのようなものだったのでしょうか?
そこで、今回の記事では、メディア文化が大きく花開き、人々にも多大なる影響を与えた大正時代の雑誌についてご紹介していきたいと思います。
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可愛いが溢れてる!明治・大正時代の女性誌「女学世界」の大正ロマン感あふれる挿絵イラストが素敵♡ 総合雑誌大正時代には、『中央公論』『改造』『文藝春秋』などの総合雑誌が大きく成長を見せました。総合雑誌とは、政治・経済・社会・文化などあらゆるジャンルについての評論が載っているものです。『中央公論』と『文藝春秋』は今でも馴染みがあるのではないでしょうか。
大衆雑誌大正時代の大衆雑誌として忘れてはならないのが『キング』です。「一家一冊」「面白くてためになる」「国民大衆雑誌」というキャッチフレーズがつけられた雑誌で、毎月の発行部数が100万部を超すほど人気に。
女性向け雑誌雑誌界で一大勢力となっていたのが女性向け雑誌でした。『婦人画報』や『主婦の友』『婦人倶樂部』『婦人公論』などは、長期間にわたり多くの読者層を獲得していきます。
ちなみに、『婦人雑誌』1915 年7月号には「今の女は何を要求するか」、『新婦人』1920年5月号には「再婚か?独身か?」など、現代の視点から見ても興味深い記事が掲載されています。
子ども向け雑誌さまざまな子ども向け雑誌も発行されました。興味深いのは、『子供之友』1914年12月号。これにはなんと、赤い服、赤い帽子、白いひげをした「サンタクロース」の姿が掲載されています。
映画雑誌も登場映画自体は明治時代に公開されていましたが(当時は活動写真という名前でした)、大正時代になりよりさかんに。映画雑誌についても、大正2年(1913年)には『映画』『映画芸術』『映画表現』『映画と探偵』などが発行されています。また、今でもある『キネマ旬報』も大正8年(1919年)に発刊されました。
雑誌以外のメディアも盛んにここまで雑誌に焦点をあててご紹介してきましたが、大正時代はほかのメディアも影響力を持っていきました。大正時代に生まれたものや、明治時代に日本に入ってきたものがさらに人々に普及するなどしました。
たとえば、新聞は速報性と娯楽性を兼ね備えたメディアとして大正時代に大きく発行部数を伸ばしました。特に大正時代の末期には「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」が急速に成長。
また、ラジオ放送が始まったのも1925年のことでした。さらに、レコードは明治時代にもありましたが、両面のSPレコードが発売され普及していったのは、大正元年(1912年)ごろのことでした。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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