2025年大河「べらぼう」主人公・蔦屋重三郎が出版界でライバルを駆逐していった決め手とは? (2/3ページ)

Japaaan

鱗林屋(鶴鱗堂)孫兵衛は、安永4年には黄表紙の『金々先生栄花夢』(恋川春町作)をヒットさせて江戸の出版界をリードする存在になりました。

しかし同年の重板事件で処罰されたことや、新興勢力である重三郎の台頭によって、売り上げを落として極度の経営不振に陥ります。

鱗形屋に代わって、江戸の地本問屋として出版界を牽引する立場にのし上がっていくのが重三郎だったのです。

チャンスをものにした重三郎

重三郎最初の出版物は、安永3年(1774)7月刊行の遊女評判記『一目千本』です。吉原を題材とした作品で、翌4年7月には吉原細見の出版に参入しました。

東京都台東区千束の吉原神社

重三郎は鱗形屋版の販売元だったのですが、当の鱗形屋が同年5月に手代(使用人)が起こした重板事件で処罰され、秋に刊行予定の吉原細見を刊行できなくなったという裏事情もありました。

当時、版元たちは同じものを出版することを重板、類似したものを出版することを類板と名付け、重板・類板の禁止を申し合わせていました。

要するに版権を互いに認め合っていたのですが、鱗形屋の手代徳兵衛が大坂の版元が出版した『早引節用集』を『新増節用集』と改題して出版したため、鱗形屋が訴えられる事態となります。

吟味の結果、徳兵衛は家財闕所(没収)のうえ江戸十里四方追放(追放刑)、主人の孫兵衛も罰金刑を受けます。

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