雑色から国司に出世!具平親王の落胤・藤原頼成とはどんな人物だったのか?【光る君へ 外伝】 (2/2ページ)

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その後はどうなったのか、晩年や最期については伝わっていません。 子だくさんだった藤原頼成

雑色として仕えていた藤原頼成(イメージ)

以上が藤原頼成の生涯ですが、彼は子だくさんでも知られています。

頼成の妻は藤原惟憲女(これのりの娘)。親仁親王(ちかひと。後冷泉天皇)の乳母を務めた女性で、頼成はその次手で出世できたのでしょうか。

彼女との間には藤原頼長(よりなが)・藤原惟綱(これつな)・藤原泰綱(やすつな)・藤原清綱(きよつな)を授かっています。

ほか生母不詳の子女として頼覚(らいがく。僧侶)・頼誉(らいよ。僧侶)・藤原祇子(ぎし/よしこ)がいました。

この藤原祇子は後に藤原頼通の妾として藤原寛子(かんし/ひろこ。道長女とは別人)や藤原師実(もろざね)を生んでいます。

藤原寛子は後冷泉天皇の皇后となり、藤原師実は摂政を務めました。

どこでどんなつながりがあるか、分からないものですね。

終わりに

今回は具平親王の落胤である藤原頼成について、その生涯をたどってきました。

母親の身分ゆえに出世は出来なかったものの、それでも従四位まで昇ったのは凄いことではないでしょうか。

こういうマイナー貴族のエピソードも面白いので、他の人物についても紹介したいと思います。

※参考文献:

黒坂勝美 編『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年6月

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