雑色から国司に出世!具平親王の落胤・藤原頼成とはどんな人物だったのか?【光る君へ 外伝】 (1/2ページ)

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雑色から国司に出世!具平親王の落胤・藤原頼成とはどんな人物だったのか?【光る君へ 外伝】

平安時代は母親の身分によってその境遇が大きく異なりました。

たとえ父親が皇族であっても、母親の身分が低ければそのまま皇族とは認められません。

今回は具平親王(ともひら)の落胤・藤原頼成(よりなり)について、その生涯をたどってみましょう。

雑色から国司に出世

藤原頼成の実父・具平親王。菊池容斎『前賢故実』より

藤原頼成は生没年不詳、母親は大顔(おおがお)と呼ばれる雑仕女(ぞうしめ。下女)でした。
大顔とは随分ひどい名前(女房名?)ですが、文字どおり顔が大きかったのでしょうか。

あるいは朝顔や夕顔みたいに、そういう花があるとか?聞いたことはないですが……。

ともあれ生まれた子供は具平親王の意向によって藤原伊祐(これすけ)と佐伯公行女(さえきの きんゆき娘)の養子に出されます。

※皇族から臣籍降下したとみなして、源頼成と呼ぶこともあるとか。

元服した頼成は寛弘8年(1011年)に蔵人所雑色(くろうどどころのぞうしき。使用人)となりました。

やはり実母が雑仕女だから、息子も雑色……と思いきや、その後は阿波守(あわのかみ)や因幡守(いなばのかみ)を歴任。従四位下(じゅしいのげ)まで昇ります。

五位以上は内裏に昇殿できる殿上人ですから、大した出世と言えるでしょう。

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