古代日本の都は糞尿まみれ!?藤原京がわずか16年で遷都した理由を衛生問題から考察 (3/3ページ)

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よって、穴がいっぱいになった時点で新しく穴を掘らなければならなかったと考えられます。

都のそこら中に糞尿が埋められていたわけです。それを繰り返せば、衛生問題に発展するのは自明の理でしょう。

「水に流す」のはいいけれど…

もっとも、水洗トイレの原型といえるような遺構も発見されています。藤原京と平城京の道路脇には側溝が設けられており、そこを水が流れていたようなのです。

この側溝を邸宅内に引き込み、さらに邸内にも溝をつくって道路側の側溝に合流させた遺構も発掘されています。

つまり外の溝から水を引き、その水で汚物を流し、外の溝に放出するという水洗システムだったと推定されます。

排泄物をただ捨てたり埋めたりするのではなく、「水に流す」ことを考えたのはさすがだと言えるでしょう。

藤原京跡の蓮の花。後ろには天香久山もみえる

ただ、このシステムはかえって都の衛生状態を悪化させていたようです。結局、道路脇の側溝を糞尿が流れ、ところどころに溜まっていたと思われるからです。

藤原京も平城京も、近くに大きな川がありませんでした。よって汚物が海まで流れるわけもなく、そうした糞尿が最終的にどうなったのかは不明です。

仮に、それを処理する役割の人がいたとしても、結局はどこかに棄てるか埋めるしかなかったはずです。これでは、都市衛生はひどい状態だったに違いありません。

しかも先述の通り、ときどき川の氾濫は起きていたわけですから、洪水になるたびに汚物が流出していたことでしょう。

藤原京はわずか16年しか都市として機能しませんでしたが、それは汚物問題を解決できなかったことも大きな理由のひとつと思われます。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

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